2015年3月16日月曜日

聖書と労働の役割(詩編 128)

妻は家の奥にいて、豊かな房をつけるぶどうの木。
食卓を囲む子らは、オリーブの若木。
見よ、主を畏れる人はこのように祝福される。
(詩編 128:3-4)
 聖書は何千年も前に書かれた書物で、その記事には何前年も前の社会制度や価値観がそのまま反映されている部分も多い。

 今回読んだ詩編128では「妻が家の奥にいる」ことが「祝福」だという記述が出てくるのだが、「食卓を囲む子ら」も含めて、これは「安定した家庭=神の祝福」という意味なのだろう。そして一家を支える男に安定した家庭を営めるだけの稼ぎがあることも、また「祝福」だとされているに違いない。

2015年3月4日水曜日

聖書で最も短い章(詩編 117)

すべての国よ、主を賛美せよ。
すべての民よ、主をほめたたえよ。
主の慈しみとまことはとこしえに
わたしたちを超えて力強い。ハレルヤ。
(詩編 117:1-2)

 聖書の中で最も短い章として有名な箇所。ひとつの章は今回引用した2節しかない。

2015年3月3日火曜日

拝金主義は究極の偶像崇拝(詩編 115)

国々の偶像は金銀にすぎず
人間の手が造ったもの。
口があっても話せず
目があっても見えない。
耳があっても聞こえず
鼻があってもかぐことができない。
手があってもつかめず
足があっても歩けず
喉があっても声を出せない。
偶像を造り、それに依り頼む者は
皆、偶像と同じようになる。
(詩編 115:4-8)

2015年3月2日月曜日

聖書こそ電子書籍にすべきなのに

Amazon Kindle
AmazonのKindle
 聖書を通読しようとした時ぶつかる最大の問題は、じつは物理的な条件にある。聖書は分厚くて重たい。また用紙が薄くて、何かあればヨレたり破れたりしてしまう。これでは文庫や新書のように気軽に持ち歩き、どんどん読み進めることができないではないか……。

 だがこうした欠点は電子書籍なら生じない。どれだけ分厚い本でも、電子データになってしまえばまるごと全部タブレットやスマホ、もしくはPC、あるいはKindleやKoboのような専用端末に入ってしまうからだ。

 電子書籍なら気になるところに付箋をつけたり、マーキングすることもできる。スマホや専用端末なら、片手に持ってどんどん読み進められるはずだ。しかも読んだ箇所がクラウド上で記録されていて、すべての端末で同期できる。

 寝る前にベッドサイドの専用端末で少し読み、その続きをタブレットで読み、仕事の合間にパソコンで読み、風呂の中で防水のスマホで読み、寝る前にまたベッドの中で専用端末を使う……といったことが簡単にできる。聖書そのものを持ち歩かなくても、行くところに読みかけの聖書がくっついてくる感じだ。

 電子書籍の領域で一歩先んじているアメリカでは、聖書の主要な訳が一通り電子書籍化されている。AmazonでKindle用の聖書を探せば、何種類もぞろぞろ出てくる。だが日本はどうだろう。

 残念ながら日本ではKindle向けに発売されている聖書が少ない。著作権が切れた文語訳や口語訳は値段の安い電子書籍が何種類か出ているが、現役の最新訳できちんと旧新約が発売されているのは新改訳だけだ。日本で一番売れている新共同訳は、現時点ではKindle向けの電子書籍が発売されていない。

 あれほどありとあらゆる判型で聖書を出しまくっている日本聖書協会が、なぜ電子書籍については及び腰なんだろうか? それによって紙の聖書の売上が落ちることを心配しているとか?

 聖書が電子書籍化されても、おそらく紙の聖書の売上はさほど落ちないと思う。電子書籍と紙の本では使い勝手がまるで異なり、礼拝で使うように「◯◯書の◯章◯節をめくり、次は✕✕書の✕章✕節を読む」といったことがとっさにできない。そのため礼拝用の聖書はまだ当分、紙の本のほうが使い勝手がいいと思う。

 電子書籍版聖書が出た時ライバルになるのは、通読用に販売されているいくつかの聖書だ。例えば日本聖書協会は「分割聖書」というのを売っている。分厚い旧約聖書を何分冊かにして、1冊ずつを薄くしている聖書だ。新改訳には文庫サイズの分冊聖書がある。これも持ち歩いてどんどん読むには便利だろう。

新改訳の分冊聖書
 新改訳の分冊聖書は僕も持っているが、これは便利なもんです。1冊ずつは文庫サイズなので外出するときにカバンの中に簡単に放り込めるし、市販の文庫サイズのカバーも使える。

 しかしこれ、文字がちょっと小さいんだよな。僕は最近ちょっと(だいぶ?)老眼ぽいので、この字の大きさはちょっとなぁ……。

 その点、電子書籍は利用者が自分で簡単に文字サイズを変更できる。1ページに多くのテキストを表示してどんどん読んでいきたい人はそうすればいいし、逆に文字を大きくして目に優しい環境を作りたいならそうすればいい。どちらが持ち歩きやすく、読みやすいかといえば、僕は電子書籍版だと思うのだ。

 僕は新共同訳聖書を主に使っていて、このブログでも聖書の引用は基本的に新共同訳からなのだが、日本聖書協会の商売の仕方には疑問を感じてばかりだ。聖書のラインナップがやたら多いくせにベーシックな引照つき聖書をすぐ品切れにしてしまうのも疑問なら、文庫サイズの分割聖書を出さないのも疑問。そして電子書籍版の新共同訳聖書を出さないのも、やはり不思議でしょうがない。

 電子書籍は紙の聖書とはほとんど競合しないので、電子版の聖書を田の紙の聖書よりずっと安い1,000円とか1,500円とかで出してくれりゃいいのに。

 1,000円はべらぼうに安いというわけじゃない。日本聖書協会はJnet-ばいぶるというWindowsパソコン向けの新共同訳聖書(旧約聖書続編つき)を、ぴったり1,000円(税抜)で発売しているからだ。


新約聖書 新改訳
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2015年3月1日日曜日

敵なんて愛せない(詩編 109)

憎しみの言葉はわたしを取り囲み
理由もなく戦いを挑んで来ます。
愛しても敵意を返し
わたしが祈りを捧げても
その善意に対して悪意を返します。
愛しても、憎みます。
(詩編 109:3-5)
 ネットで何か発言していると、ふとした拍子にどういうわけか袋叩きになってしまうことがある。「炎上」というやつだ。 どんな説明をしようが、どんな釈明をしようが、最初から喧嘩腰で、細かなあら探しをしよう、揚げ足を取ってやろうと待ち構えている相手には通じない。

 まあこういうことはネットの中に限らず、会社の中でも、ご近所付き合いでも、人間が集まって暮らしている中ではどこでもあり得ることなんだろう。ひょっとしたら家族の中で、そうしたギスギスした関係になってしまっている人もいるかもしれない。

2015年2月28日土曜日

聖書の通読はいまだ継続中

■聖書通読いまだ終了せず

 聖書を最初から最後まで漏れなく読み切ってしまう通読が、いまだ完了していない。新約聖書は中学生か高校生の頃に一度読んでしまったのだが、問題は旧約聖書だ。

 聖書の通読には時間と根気が必要になる。僕には時間はあっても根気がない。それを補う方法のひとつとして、「通読表」を使って自分の達成度を目に見える形にしている。

 通読表というのは聖書の内容一覧表みたいなもの。これを塗りつぶしたりチェックをつけたりすれば、自分がどれだけ読んだか、あとどれだけ読まなければならないのかが一目でわかるのだ。

 市販の通読表もあるが、ネットを探すといろいろな形式の通読表が出回っている。これをダウンロードしてプリントしてもいい。例えば以下のようなサイトが参考になると思う。
僕はネットでダウンロードしたものと市販のものを併用している。52Week Bible Reading Planをベースに、旧約続編も少しずつ読むというスタイル。

■聖書を通読しておく利点

 僕が通読を達成したのは新約聖書だけなのだが、それでも通読のメリットはいろいろあると思う。要所だけを拾って読んでいく方式では漏れてしまう、聖書の中の小さなエピソードに出会えるのが通読の最大のメリットだ。

 子供向け(あるいは大人向け)の聖書物語には決して登場しない人物もいる。ひどく残虐なエピソードもあれば、エロチックなエピソードもある。現代人の感覚から見ると、どう解釈していいのか理解に苦しむような部分もある。でもそういう部分が結構面白かったりするわけだ。

 こういうものを読んでも、いちいち全部覚えておく必要はない。「そういや何かあんなことが書かれていたよなぁ」と思ったら、後からその部分を探すのは簡単だからだ。ネットを使えば聖書の全文検索サービスが無料で利用できるし、検索に引っかからないようなものもググれば見つけ出すことができたりする。

■現在の通読状況

 一時は熱心に読み進めていたのだが、ここ数年はまったく手つかずで放置している。現在の到達度は以下のような感じ……。(新約聖書も再読してます。)



 旧約聖書で「通読最大の難所」と言われている律法規定と預言書は既に乗り越えているし、残りはもうほとんどわずかじゃん! と、自分で今これを見ながら思っていたりする。でもその「わずか」がなかなか進まない。

 まあ少しずつでも先に進めば、いつかは終わることなんでしょうけどね。というわけで、たった今、詩編を少し読みました……。

 そして思ったけど、聖書はやっぱり面白いよなぁ。今後は聖書を読む中で、面白いと思った箇所や言い回しがあればブログで紹介して行こうと思いま〜す。

2015年2月27日金曜日

愛用しているのは既に絶版の聖書

一番利用頻度の高い聖書

 聖書は何十冊か持っているが、ごくわずかな例外を除いてガラス扉付きの本棚に押し込んだままだ。そんな中で、珍しく仕事机の引き出しに放り込んであり、椅子に座ったままでもすぐ取り出せる場所に置いてある聖書がこれだ。

 これは日本聖書協会の「新共同訳 カジュアル聖書 旧約続編つき(創造)」というもので、定価は1,900円(税抜)。中身は本文横組みで、通常の聖書1ページ分を2段に分けて1ページにレイアウトする「ハンディバイブル」と同じ形式。旧約聖書と新約聖書に加えて、旧約聖書続編と、読むためのガイドというの付いている。このガイドは用語や度量衡の説明など、ごく簡単なもので、いちいち断らなくても新共同訳聖書にはたぶん全部付いていると思う。

カジュアル聖書の利点

 この聖書を愛用している理由は簡単。まず薄いので場所を取らない。1ページに通常聖書の2ページ分を印刷しているから、厚みが半分になっている。机の引き出しに放り込んでおいても、ゴロゴロじゃまっけになることがないのだ。

 次に横書きなのでパソコンで横書きの作業をしているときに、目の移動が楽な気がする。ただしこれは「気がする」だけで特に根拠はない。

 この聖書はかなり文字サイズが小さいのだが、小さいなりにちゃんと読める組版になっている。既に老眼になっている僕などは、同じ文字サイズで縦組みだったらもう「ゲゲゲ!」という感じになりそうな、これは明るいところならちゃんと読めるな……。


 大事に使って何十年も持たせようとか、そういうものではない。表紙も紙にビニル加工をしただけの簡便なもので、要所のペーパーバックなどに近い雰囲気。それでいてページはしなやかに開けて、ページを開きっぱなしにしていてもひとりでに閉じてしまうようなことがない。

 そして一番の利点は、値段が安いこと。値段が安いから書き込みなども安心してできる。聖書をよく読む人は平気で書き込みをするんだけど、僕は「本は汚すな」と言われて育ったせいか、それができない性分。特に1冊5,000円ぐらいするような聖書だと、まず書き込みができない。でもカジュアル聖書だとぜんぜん遠慮しないのだ。(まあ他に同じ内容の聖書を何冊も持っているしね。)

残念ながら既に絶版

 このカジュアル版は2003年に発行されたのだが、その後は後が続かず、今はもう手に入れることができない聖書になってしまった。同じ組版の「ハンディバイブル」や「バイブル・プラス」は手に入るのだが、それだと値段的に小型聖書とあまり変わらなくなってしまうので「薄い」という意外にメリットはあまりないだろう。

 紙装の新約聖書は教会学校用などにたくさん出ているが、旧約聖書や続編まで含めて紙装にしたのはこのカジュアル聖書ぐらいしかなかったのではないだろうか。「聖書協会は聖書のラインナップを整理して減らすべきだ」というのが僕の基本的な考えではあるのだが、カジュアル版は残しておいてもよかった判のような気がするんだけどなぁ……。

 キリスト教系の学校なら聖書の授業用に、生徒にまとめて聖書を買わせたりしないんだろうか? そういうときに安い聖書のニーズはあると思うんだけど。学校じゃ新約聖書しか使わないですか? でもカジュアル聖書なら旧約聖書を合わせても、ビニル装の新約聖書と同じぐらいの値段だと思うんだけどなぁ。

聖書は読むものではなく使うもの

 ただしこのカジュアル聖書は、「聖書を1冊だけ買うとしたら何がいいですか?」というニーズには向かないのです。ビニル装やハードカバーの聖書なら大事に使えば一生ものだけど(僕が持っている聖書の中にはそれよりもっと古いものが何冊かあるけどね)、紙装のカジュアル聖書にその重みはないからな……。

 でも聖書は「読み物」ではなく「使うもの」なのです。どんどん開いて、どんどん書き込みをして、読んで、使って、読み倒して、使いまくって、ぼろっぼろにしてしまうのが、本当なら聖書にとっての勲章みたいなもの。(僕はそこまでやったことないけど。)だから聖書を本格的に読もうとする人(使おうとする人)は、もったいぶって立派な装丁の聖書を買わずに、紙装の聖書を徹底的に酷使した方がいいのです。

 革装の聖書を本棚に仕舞い込んでお飾りにするよりは、紙装の聖書を1冊だめになるまで活用した方がいいと思うんだよね。紙装の聖書を徹底的にそこまで酷使できれば、その後に革装の聖書を買い直してもきっと過去の活用が生きてくるような気がするけど。

結構頑丈なカジュアル聖書

 日本の印刷製本技術は世界一なので、カジュアル聖書もかれこれ10年以上手もとにあるけどまるでびくともしていない。無線綴じだけど背割れしてページの開きがバカになってしまったり、一部のページが抜けてしまうといったことは皆無。

 ちなみにこれを印刷していたのは、各種の辞書で有名な三省堂印刷。辞書もまた「使う本」として酷使される運命にあるから、聖書とは似たところがあるな。

 そんなわけで今も僕は愛用しているカジュアル聖書なので、日本聖書協会にはできればこの復活をご検討いただきたい。まあ復活したからといって僕がまた買うことはないわけですが、「聖書を買いたいんだけど」という人にお薦めすることはできる。

 じっくり聖書の内容を熟読吟味したい人は「引照つき」がいいけど、聖書に何が書かれているかを知りたい、小説のようにひたすらどんどん読みたいという人にはカジュアル聖書という選択もあった方がいいんだよ。